【椿屋】椿屋四重奏の中で一番好きな曲はなんですか?また、人にお勧めするとしたらどの曲を選びますか?

いちばん…!いちばんって難しい。そして、自分が納得できるまで何をも漏らさず答えられるか、そうできない自分を考えると憤りそうになる。私の椿屋は、そういう重たい存在です(違う私の考え方が重い)。
私はおそらく、嵐はちょっと入れ込んでいる茶の間に近いのです。その時々に単発的に萌えて、興奮して、点で終了してしまう。椿屋四重奏に関しては、この4年間、ほとんど私の恋の相手でした。正直、ライブに行くと客層の女性の比率にその都度驚いて、その各々がそれぞれに椿屋を、裕二さんを語っているのだと考えたら、嫉妬…?いやなんか、憤りそうになる、くらい。

とか言って、質問はそんな話ではありませんでしたてへぺろ☆←

まず話の前に、椿屋の曲は大別して情念・物語世界の曲と、心をすくってくれる曲とがあるとしておきます。椿屋四重奏が”艶ロック”を掲げ演舞を行ってきた期間については私はリアルタイムではないのですが、ロック幻想に憧れ、夢を見上げて、和を纏ってきたものとしてミニアルバム『椿屋四重奏』フルアルバム『深紅なる肖像』があるとしたら、そこから『薔薇とダイヤモンド』を経過して、『TOKYO CITY RHAPSODY』、『CARNIVAL』、『孤独のカンパネラを鳴らせ』…そこに吹き込まれた歌には、どんどん肉体がついていきます。前からあった血に、やわらかいのにかたい人間の肉が、すべらかでもざらついた人間の皮膚が、心が。
私が彼らの歌が好きなのはそう向かっていく姿を目の当たりにしてきた年月にあります。

長くなるので、ここで候補を多数挙げて全部語ろうとするより、いちばんと言えるものを挙げておこうと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=ijfkZBmYsAc&ob=av2e



メジャーファーストシングル『LOVER』。

これがおそらく、いちばんです。

06年末の「僕らの音楽森山直太朗×椿屋四重奏を最初の出会いに、07年3月から初めて聞きこんでいくことになった私にとって、LOVERが初めてリアルタイムで発売された新譜でした。このシングルにはPVがついておらず、当時渋谷のタワレコで流されていたPVを延々と見ていた思い出があります。
あまりに濃い、情に埋もれ濡れた歌。基本的に椿屋の音はそんなに走ることがないと思うのですが、LOVERの楽音は戦慄く足で地面を抉るように、指の腹で皮膚を抉るように、何かを予感し、覚悟したように一挙一挙が重たく確かに鳴り続ける。それが顕著なのは間奏2分57秒からのラストまでのぼりつめてゆく部分だと思います。そうして、果ててゆく。
あるいは当時の日記で、裕二さんの声を感覚として「焼け落ちるスチロール」だと言った覚えがあります。融解し、摩擦熱を生み出す声。

「君の中で 君の中で
何もかもが焼け落ちてゆくよ
ためらわずに今日は
僕の為に捧げて欲しい
全てが嘘だと言うなら」
「僕の中で 僕の中で
何もかもが失くなればいいよ
誤魔化さずに今日は
君の為に抱かれて欲しい
全てが嘘になるなら」

この2つのサビで、「僕の為に捧げて欲しい」と「君の為に抱かれて欲しい」が同等の重みを以て発せられることが、とてつもないと思うのです。ここで補助動詞であれば基本的にはひらがな表記の「ほしい」であるべきはずものが「欲しい」と告げられていることにすら私は興奮します。
あとは、上記、のぼりつめてゆく部分のPV映像。かたまる前のコンクリートの中を進んでいくような腕。いくつも伸ばされる、男の。そうして対するのは、女性の、腕、脚、顔、そうして先に果てていく姿。まるで、肉体的に攻める道具の多い男の性と、結合する女性のようだと思いました。
ですが、それは決して男女の優位劣位を示したものではないのです。2人にとっては、そうして繋がる行為は同等の望みなのだから。

そんなこんなで、私はこの曲に準拠してそういう話を書いたりもしました。まぁ、二次創作で男男ですが。もうひとつのよりどころは、「火の鳥未来編」です。

椿屋四重奏の”血”が色濃い。椿屋四重奏の基点であり、真髄。そういう意味で、やはりこの曲がいちばん好きなんだと思います。


そういうわけで、ここに引っ掛かってほしい。その思いで、本当にはまってほしい人にはLOVERをお勧めすると思います。
もちろん今語りきれてない「すくってくれる」方の曲でも良い曲はたくさんあるわけで、心にくる言葉、普遍的に良い曲はあるわけです。ただ、それは個人の感情とリンクした感傷かもしれないし、フックのある、あるいは食いつかれやすい、という面では決してそういうステイタスがあるわけではなく、必ず万人の心を貫けるかと言われるとやはりそうではないと思う。たぶんですね、皆が今の私の深度まで来てくれないと(少なくとも向かって来てくれないと)ギリィッ…!ってなるんですよ…(いや、私以上に語る人にもギリィッ…!ってなると思いますが)(どうしろと)

ともあれ、聞いてみたいな、と感じた方にはLOVERを、ついでに言うならばシングル盤としてのLOVERをお勧めしようと思います。カップリングに配された「moonlight」のLOVERとの対比、またインディーズ時代の「プロローグ」「トワ」を聞いていただければと思っています。

(11/9/22インタビューズ)

連続椿屋ひゃふー!!!!!
昨日の書き方も重たいがどちらにせよ夜中の手紙のテンションなのでどうしようもない。どうぞお付き合いください。
というか、ひとつ前の質問とはまた答える内容が違ってくるので面白いです。

印象に残っている曲、として答えられるのも、多分に、私は椿屋の場合はわりとライブの場へ足を運べたことが根底にあると思います。
ひとつ前で書いた通り07年3月〜が私の椿屋の歴史なので、
・07年熱視線5 mad about you
・07年ツアー 4 THE LOVERS
・08年熱視線6 SECRET ROOM
・08年ツアー CITY OF SILVER
・09年熱視線7 TUMBLING VACATION
・09年ツアー CARNIVAL
・10年熱視線8 KICK START MY HEART
・10年ツアー BRIGHTEST DARKNESS
が参加したもの。私はいちばん近いところの公演1回しか行っていないので、07、10は東京公演、08、09は福岡。同じツアーに2回行ったのは、最後のBRIGHTEST DARKNESSだけです。

そして、そうして立ち会ってきた中で言うならばやはり『小春日和』、そして『君無しじゃいられない』の2曲だと思います。

この2曲はだいたいセットリストの最後の方かアンコールでやる曲で、他の曲でも客席が手を振ったり回したり、というのはありますが、小春日和のその幸福感は格別です。

「移りゆく季節に 身を任せながら
笑い泣く君が 僕には欠かせないのさ」
「移りゆく日々に 振り払われまいと
笑い泣く君が 僕には欠かせないのさ
長い髪を風に なびかせ佇む
落ちかけた日差しに溶けた 君が儚いんだ」
腕を大きく、大きく振りながら、ライブが終わりに近づいてゆくのを、それでもなんだか泣けてくるみたいに染みるあたたかい気持ちに浸って彼らを見つめるのです。

「笑い泣く」っていうのが、いいなぁとすごく思えて。素直に、なんのてらいもなく感情にのれるっていいなぁと思って。

『君無しじゃいられない』では、間奏を伸ばして、途中でコール&レスポンスというか、リピートアフターミーというかをやります。なーなーななーなーななーなーななーな!\なーなーななーなーななーなーななーな!/いかん な がゲシュタルト崩壊
客席を上手・真ん中・下手・プラス二階席とか遠い方とか分割してやらせたり、最後は全員でやったり。で、最後を
「ひとつ言わー!せてー!\君無しじゃいられない!/」
「もうひとつ言わー!せてー!\君無しじゃいられない!!!/」
とやって終わります(´∀`)これがやっぱり幸せなのです。


それほどこの曲は定番でした。
その足跡があったからこそ、10年のその意味づけを知らされたときは呆然とした、ような気がします。
10年10月の日比谷野音に行ったとき、アンコールにはやはり小春日和がありました。が、その後、ラストにやったのは『螺旋階段』という、わりと、放り投げて終わる系というか、…物語を展開させるだけさせて私たちへの幕を一瞬で下ろす、というような曲で、当時の私の感想レポにはきっちり、「ここまで来たなら!小春日和まで来たなら、君無しじゃいられないで良かったんじゃないか!」という困惑が残されています。まぁ、その時点では「ちょwそうくるのwwwそうなのwww」みたいなテンションだったんですが。

そして12月、バイトの勤務先が居酒屋という場所柄、年末までこっちに残ることになり、「…あれ?これ中野も行けるんじゃね?」と思い立って12月頭くらいに急きょ取った公演が12月26日の中野サンプラザ、BRIGHTEST DARKNESSツアーのファイナルです。あ。一応言っておくとこの公演は完売ですよ。
したらば。やったんです。君無しじゃいられないを。中野サンプラザは広い会場で私は二階席だったのですが、途中の例のC&Rで裕二さんは歌いながら客席へ降りてきました。人の間を歩きながら(まぁちゃんとした座席があるんで通路をですが)、歌い、マイクを向けて、あまつさえ!客席の女の子にマイクを向けて、なーなーななーなーななーなーななーなを歌わせて、あまつさえ!その子の頭を 撫 で … !
そんなこと今まで一度もなかったのでびっくりしたし、自分じゃなくても嬉しかったし、興奮しました。やっぱりこの曲をやるからこそライブだ、みたいな感覚もあったし、幸せでした。
あまつさえ!(何度使うんだ)ラストには銀テープが舞ったのです。二階席だったので当然拾えませんでしたが、それは幸福感と高揚した気持ちを倍増させ、「日比谷だけじゃなくて中野も来て良かった」と心底思いました。やっぱり椿屋が好きだと思いました。
「年末カウントダウンは仙台(結成地)だからさすがに行けないしなぁー…」とも。


彼らが解散を公表したのは、明けて11年、1月11日のことです。
彼らは、余計な好奇心や物見遊山や感傷を以て自分たちを見られるのを疎んだのだと思います。もちろん、単純に都合が合わなかった人にはあれだけども。
ただ、あの空間を幸せにしたかった。幸せでいたかった。
red bluesの
「気安く触るなよ
俺が辿り着いた答えに
傷ひとつつけるなよ」
という歌詞が大好きです。
そうして、裕二さんが最後に残した言葉として。
「嵐の中 自ずと望んだ この場所に
涙と雨の 涙と雨の 祝福を」
嵐が丘が。


ともあれ、『小春日和』と『君無しじゃいられない』。この2曲が、椿屋の歩みと常に共にあったような気がします。

(11/9/23インタビューズ)