【椿屋】椿屋で印象に残っている曲、思い出のある曲などあったら教えてください

連続椿屋ひゃふー!!!!!
昨日の書き方も重たいがどちらにせよ夜中の手紙のテンションなのでどうしようもない。どうぞお付き合いください。
というか、ひとつ前の質問とはまた答える内容が違ってくるので面白いです。

印象に残っている曲、として答えられるのも、多分に、私は椿屋の場合はわりとライブの場へ足を運べたことが根底にあると思います。
ひとつ前で書いた通り07年3月〜が私の椿屋の歴史なので、
・07年熱視線5 mad about you
・07年ツアー 4 THE LOVERS
・08年熱視線6 SECRET ROOM
・08年ツアー CITY OF SILVER
・09年熱視線7 TUMBLING VACATION
・09年ツアー CARNIVAL
・10年熱視線8 KICK START MY HEART
・10年ツアー BRIGHTEST DARKNESS
が参加したもの。私はいちばん近いところの公演1回しか行っていないので、07、10は東京公演、08、09は福岡。同じツアーに2回行ったのは、最後のBRIGHTEST DARKNESSだけです。

そして、そうして立ち会ってきた中で言うならばやはり『小春日和』、そして『君無しじゃいられない』の2曲だと思います。

この2曲はだいたいセットリストの最後の方かアンコールでやる曲で、他の曲でも客席が手を振ったり回したり、というのはありますが、小春日和のその幸福感は格別です。

「移りゆく季節に 身を任せながら
笑い泣く君が 僕には欠かせないのさ」
「移りゆく日々に 振り払われまいと
笑い泣く君が 僕には欠かせないのさ
長い髪を風に なびかせ佇む
落ちかけた日差しに溶けた 君が儚いんだ」
腕を大きく、大きく振りながら、ライブが終わりに近づいてゆくのを、それでもなんだか泣けてくるみたいに染みるあたたかい気持ちに浸って彼らを見つめるのです。

「笑い泣く」っていうのが、いいなぁとすごく思えて。素直に、なんのてらいもなく感情にのれるっていいなぁと思って。

『君無しじゃいられない』では、間奏を伸ばして、途中でコール&レスポンスというか、リピートアフターミーというかをやります。なーなーななーなーななーなーななーな!\なーなーななーなーななーなーななーな!/いかん な がゲシュタルト崩壊
客席を上手・真ん中・下手・プラス二階席とか遠い方とか分割してやらせたり、最後は全員でやったり。で、最後を
「ひとつ言わー!せてー!\君無しじゃいられない!/」
「もうひとつ言わー!せてー!\君無しじゃいられない!!!/」
とやって終わります(´∀`)これがやっぱり幸せなのです。


それほどこの曲は定番でした。
その足跡があったからこそ、10年のその意味づけを知らされたときは呆然とした、ような気がします。
10年10月の日比谷野音に行ったとき、アンコールにはやはり小春日和がありました。が、その後、ラストにやったのは『螺旋階段』という、わりと、放り投げて終わる系というか、…物語を展開させるだけさせて私たちへの幕を一瞬で下ろす、というような曲で、当時の私の感想レポにはきっちり、「ここまで来たなら!小春日和まで来たなら、君無しじゃいられないで良かったんじゃないか!」という困惑が残されています。まぁ、その時点では「ちょwそうくるのwwwそうなのwww」みたいなテンションだったんですが。

そして12月、バイトの勤務先が居酒屋という場所柄、年末までこっちに残ることになり、「…あれ?これ中野も行けるんじゃね?」と思い立って12月頭くらいに急きょ取った公演が12月26日の中野サンプラザ、BRIGHTEST DARKNESSツアーのファイナルです。あ。一応言っておくとこの公演は完売ですよ。
したらば。やったんです。君無しじゃいられないを。中野サンプラザは広い会場で私は二階席だったのですが、途中の例のC&Rで裕二さんは歌いながら客席へ降りてきました。人の間を歩きながら(まぁちゃんとした座席があるんで通路をですが)、歌い、マイクを向けて、あまつさえ!客席の女の子にマイクを向けて、なーなーななーなーななーなーななーなを歌わせて、あまつさえ!その子の頭を 撫 で … !
そんなこと今まで一度もなかったのでびっくりしたし、自分じゃなくても嬉しかったし、興奮しました。やっぱりこの曲をやるからこそライブだ、みたいな感覚もあったし、幸せでした。
あまつさえ!(何度使うんだ)ラストには銀テープが舞ったのです。二階席だったので当然拾えませんでしたが、それは幸福感と高揚した気持ちを倍増させ、「日比谷だけじゃなくて中野も来て良かった」と心底思いました。やっぱり椿屋が好きだと思いました。
「年末カウントダウンは仙台(結成地)だからさすがに行けないしなぁー…」とも。


彼らが解散を公表したのは、明けて11年、1月11日のことです。
彼らは、余計な好奇心や物見遊山や感傷を以て自分たちを見られるのを疎んだのだと思います。もちろん、単純に都合が合わなかった人にはあれだけども。
ただ、あの空間を幸せにしたかった。幸せでいたかった。
red bluesの
「気安く触るなよ
俺が辿り着いた答えに
傷ひとつつけるなよ」
という歌詞が大好きです。
そうして、裕二さんが最後に残した言葉として。
「嵐の中 自ずと望んだ この場所に
涙と雨の 涙と雨の 祝福を」
嵐が丘が。


ともあれ、『小春日和』と『君無しじゃいられない』。この2曲が、椿屋の歩みと常に共にあったような気がします。

(11/9/23インタビューズ)