【嵐】今度は、希望を持ったやつらを探そうというのか?

私は寡読で、寺山修司の言葉といったら高校のとき文芸部の知り合いが「どんな鳥だって想像力より高く飛ぶことはできないだろう」を文化祭のポスターに使っていて知ったものくらいで、ましてやその実である思想について知り得ているわけでもないし、かといって他の誰かに明るいわけでもない。
ので、決して分かりやすくはなかったこの舞台の思想に対して論じることはできません。あまりに、「誰かに対抗したいために」書こうとする自分の薄っぺらさが見るに堪えないので。
ので、ここに書けるのは結局感傷的な細切れの思想です。

幸いにも前の方の席だったのですが(しかもど真ん中だった!リングのポールのど真ん前っていうくらいど真ん中だった…)、逆に舞台は全景を一度にとらえることはできないしでも舞台両端と言わずいろいろなところで役者は動くし、今小出くんが喋ってるから小出くんに注目したいけどでも潤くん見たいし、でもこんなに近いしど真ん中なせいで今潤くんは私のこと見てんじゃないかって錯覚に陥って「てめぇ喋ってる方に注目しろよこっち見てんじゃねぇよ」って思われてたらどうしよううわぁぁぁぁぁってなるし(要するにそれも錯覚)、
つまり言いたいのは、舞台の言葉すべてはとても追えなかったってことです。
黄色い涙のときは誘っていただいたチケットの関係もあって続けて2回見たせいもあってか、シナリオに言葉尻とか台詞の順番とかかなり覚えてて書きこんであるんですが、今回はちっともそれができない…。
それが荒野の性質によるものか舞台というものの性質によるのか分からないのですが。
というわけで、感想で書き出す台詞は基本的に戯曲版を参照しているし、話の流れすらそこに頼っている…。

それでは。



――幕開け前。

というのも正しいのか。緞帳はそもそも上がったままだし、常にけぶっていた。舞台上にセットは何もない。
リュックを背負ったりした稽古着、トレーニング姿の人がなんとなく集まり始める。おじさんが多い。若い人若干。女性が2、3人。着替えたり、舞台上をちょっと走ったりストレッチしている。
開演時間。もともとセンター近くにいた女性は踊るような動きをしていたのだけれど、次第に動きが広がり、キャストが隊列をなし、群舞へなってゆく。群舞。一度後方の一点へ下がりそこからまた広がったり。下手後方へ捌けそこから社交ダンスのように舞台を横切ってゆくペアたち。最後の方は男ばかり。それが終わればトレーニングをする男たちの縄跳び。それを捨てシャドーへ。「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」男たちが口々に叫ぶ。

ちなみに、舞台の両脇、デジタル時計の表示がある下辺りに小さな電光掲示板が配置。開演前は「あゝ、荒野」というタイトルが、その後は話が進むのに合わせて、章明けの短歌であったり歌の歌詞が映される。


――幕開けの後。

村田英雄の歌を歌う歌手。新宿の人々。人の髪を刈るバリカン。トラックの上に乗る新次。様々な舞台装置が、コンサートのトロッコのように人の手で押され舞台の上を動く。
娼婦たちの会話。手を引かれるバリカン。
行為はできず、女と話をする。同じ部屋へ通される新次(手違い)。タンスに隠れるバリカンたち。新次と芳子。

「どこの生まれ?」と重ねられる女の問いに、バリカンは答えられずに自分は何者か、という問いを発してしまうし、新次は「どうでもいい」「女の股の間から」と答える。
新次が母親を語るところもあったし、芳子の母親殺しの話、それにあくびをして問い返していく新次の流れもあるし、何か考えるとしたら「母親」はキーワードにしてみたいなぁ。
新次の「出来たての前科者」って言葉がかわいい。
実際、新次は何の罪で院にいたんだろう。原作でははたち、舞台では22の青年が、15で止まっていると言う理由。今思ったけど、母親からの強姦っていうのはありなんだろうか。何かをしてしまったのが15でそこからずっと院に入ってたわけじゃなくて、それが始まったのが15だったとか。とか考えるのは、新次の環境を美化しすぎてるだろうか。

ここで芳子が言う「お姉さんがいろいろ教えてあげましょうか」っていうのがすごく引っ掛かって。
それまでバリカンと話していた女(娼婦マリー)(彼女は、死んでいる/殺される?)はいかにも娼婦というか、胸の開いた服を着、化粧をしていたのに対し、芳子はそば屋の店員=素人娘であるせいというだけでは収まらないくらいに、あまりに「見える”性アピール”」がない。赤く薄いコート、園児のスモッグのようにまっすぐ落ちるワンピース、まるで子どもの長靴のような履物。そういえばマリーが部屋の中でヒールを脱ぎ足が平坦に着いた姿も印象に残っている。
それでも、性行為に走る女と要求する男たち。…やっぱり、女だという判断って胸なんかじゃない。足なんかじゃない。性器でなされるものなんだって泣きたくなった。

この部屋の中で、バリカンと芳子が目を合わせたり、バリカンの叫び、新次の叫びが入るけど(行為の後芳子がシャワーにと捌ける間に寝てしまう新次、その隅でのバリカンとマリーの対話、ベッドの上に立ちあがり叫ぶ新次、それがばたりと倒れた後走り去っていくバリカン、そして実際に目覚める新次)、どこからが現実で、どこまでが夢だったり幻だったり夢想だったりするんだろう?難しくて分からんよ…。

新次もがその部屋を去って行った後現れるカワサキ、アイザワ、宮木。(舞台では、健二の父親は出てこない。)タンスの中の殺されたマリーを発見する。

宮木が映画館で自慰をしているところに新次が…っていうのは語りの中だけだった!しかし宮木さんあんたそんなに新次に会いたいなんてフォーリンラブじゃねぇの。って言ってみたい。

あまりに雑多な新宿。新次と片目のボクシングジムの邂逅。そうして、バリカン。

片目のコーチさんは荷台に乗っていらっしゃったが、冒頭の新次さんはトラックの頭に乗っていらしてよ…。
勝村さん絶好調。というか、この舞台勝村さんがやることくらいしか笑っていいところがなかった。
・(・∀・)強いねお兄さーん!(拡声器ばりばり)
・そんな高くねぇのに荷台から華麗に降りられない。
・新次とバリカンに同時期入門なんだから仲良くしろよ!みたいに2人の肩を組むところで、それを支えにからだをブランコさながらにスイングしまくる。これを支えさせられることになった潤ちゃんと小出くんかわいいよ!wwww そしてこれはハプニングだろうが、その勝村さんの足(かかと)がリングのロープに引っ掛かる事態発生。そしてその後喋るときに新次(まだ肩組んでる)にめっちゃ唾飛ばしてたwwww苦々しい顔してほっぺた拭う新次さん超かわいいよ!!!!!wwwwwwww
・新次提案の「バリカン健二」というリングネームに、ピストン、ファイティングのかっこよさげジェスチャーの後に地味ーにバリカンを動かす仕種をして思案
舞台長かったけど、ほんとこれくらいしか笑っていいところなかったよ…あとはバーのマスターが野菜炒めつくってるときに落ちた野菜をしれっと放り込んだとこくらい。あっあとは自殺研究会の眼鏡の喋り方と、カワサキアイザワに切符売っちゃうところとその喫茶店ダグで左手のおっさんが新次に手を振り上げようとしたのを誤魔化したところくらいか…。

新次さんはトレーニングの一部と最後の試合以外はほとんど赤アロハに白スーツというあのめったに着こなせないお洋服だったのだけど、バリカンはもっと地味でくたびれかけたジャージだったりTシャツだったりっていうのがもう既にキャラクターが違ってかわいかった。
あと、新次潤くんは拳を太ももにおいてのお辞儀だったんだけど、バリカン小出くんはカーテンコール含め最初から最後まで腕を曲げもせず、背中の半分からだらんと曲げるようなお辞儀だったのがすごい好きだった。これも的確には言えてないけど、やる気のない前屈みたいな感じ(やる気のないっていうのは、拳は下がっても膝下くらいだから)。

バリカンはどもる。うまく、言葉にできない。
程度は違うかもしれないけど、私はバリカンに近い人間です。
その中で「どもりは直さないほうがいい。きっとそのうっ屈したのが代わりに乗って、お前のパンチを強くしてるんだから」っていうことをジム生に言われたのがあまりにつらくて、私が舞台中泣いたのはこの場面でした。
そんなわけないじゃんって言いたい。そんなのが欲しいわけじゃなくて、そんなことを慰め半分理屈半分で言ってもらうことなんかじゃなくて、もっと普通の精神で、もっと人の輪に入って、当たり前に愛してる好きだ嫌いだ希望絶望を発することができる「皆と同じだけのこと」の方がずっとずっとほしいのに。
世の中の人見知りだとかコミュ障だとか自称する人のどれだけが、ほんとに苦しんでいるんだろう。そんなことを言ったら私だってそんなに程度はないと言われてしまうこともあるのかもしれないけど(そして別に競い合うための性質のものじゃないはずなんだけど)、社会のコミュニケーションに入れないでいる自分に気付くことがどれだけ悲しいか。つらいか。きっと分からない人にはどれだけ言葉を尽くしても分からないんだと思う。
私、文庫で健二の死亡診断書というラストを見たときは、あぁ、私も生きてちゃいけない存在なんだ、って号泣した。(って。こういうことをあまりにぐるぐるといつまでも言っているとお前ただの甘えと厨二じゃんってなるから見切りをつけなくちゃいけなくて(ここが問題。そこから這い上がって走り出すんでなくて見切って考えないように捨ててしまうから結局いつまでも中途半端にダメなのです)。というのは私の場合だけど、)

舞台も途中から、あぁ。早稲田の自殺研究会の連中があんなに躍起になって自殺してくれる人を探してはいないって言ってるけど、あまつさえ自分が飛び降りたりなんかしようとしてるけど、
その機械なんかが作動しないところで、そんな議論をして生きていて、自分の中に死ぬなんて考え何もない男たちの横で、バリカンが死のうとしているじゃないかって。あまりに作中で自殺研究会自殺研究会って言ってるのは、そもそも「この舞台全て自体がバリカンの自殺を見守る「機械」だという暗喩なんじゃないか」って。すごく、すごく怖かった。


ただ。原作だったりわりとさっきまでっていうのはものすごくこの物語の解釈に悲観的で、そして新次の思考が分からないでいたんだけど。今戯曲本を見ていて新たな解釈の誕生。
さっき上で「新次の環境を美化してしまったかしら」と書いたのは、そういう、強姦されたっていう過去設定は、大抵トラウマビッチ化するか聖女化するかの二択じゃないですか。創作上。ここで新次の表皮を全く聖女にしてしまうのは、それは違うなぁと思ったのでした。
ただ、このエントリーのタイトルを書くのに、私(まだ悲観的)は「美しい自殺」的な文言を探して戯曲のページをめくっていたのですが、そこでカワサキたちと新次の会話になんとなくひっかかったのです。

新次「じゃあ、あんた方はいつ、生きる準備をしたんだね?」

新次「だって、あんたがたは、人間の命をコントロールしようとしてるんだろ? 自殺っていうのはそういうことだろ?」
カワサキ「自殺は人間が唯一自由にできる選択だよ」
新次「他人は自由にならないから、せめて自分ぐらいは自由に殺したいってわけか。とんだ弱いものいじめだな」
(略)
新次「自殺っていうのは要はわがままだろ? もっとお金が欲しかった、もっと人に愛して欲しかった。もっと名誉が欲しかった。欲しかったものが手に入らない。なぜならそいつがそれほど強い人間じゃなかったからだ。弱い人間だったからだ。誰と戦ったって勝てない。そうするともう勝てる相手は自分しかいない。いじめる相手は自分だけ。だからその自分を殺しちまうのさ」
カワサキ「単純だな。単純だよ。もっと崇高で、気高いものも人間にはあるんだ」
新次「見せてくれよ。その崇高なものってのを。俺にもわかるように」

もしかしたら、バリカンにとってのあの後楽園ホールは、「生きる一瞬のための準備」だったのかなって。生きる自分が一瞬でも見たくて、それになりたくて、そのためにはずっと憧憬する新次が必要で、そうがむしゃらにあがくバリカンは崇高で愛しくてだから新次は加担してやりたいしその決心はあるけど、でもその後に死を待たせていることが避けられないから、それに加担しなければならないことが、苦々しい…。

だからこそこの話はバリカンではなくて新次が主人公として配されているのだと思いました。正しくは、トップクレジットが新次のW主人公だと思うけど。新次がいてくれないとバリカンの世界に希望は見えない。これがバリカンが単独の主人公であると、あまりにひとりよがりになる可能性がある。だから彼を、私たちは新次越しに見ていく。ただ、にも関わらず、新次ってよく分からない。
難しいんだ。バリカンと新次の関係は確かにもっと掘り下げたいけど、悲劇の人とそれを理解できない性質の人間が殺したって話であってはいけないし、悲観に囚われてひとりで逝った人間と天使にしてもいけないんだ。
両方を、互いに唯一通い合った人間にしなくてはならない。
難しいなぁ。


あとは箇条書き。
・潤ちゃんほんと白かった。アロハの襟すっげぇ開いてたんだけど、すっげぇ白かった…。
・そんで腰が細かった…。逆三角形って言葉あるじゃないですか。あれとはまた違うんだ。あの子は腰が細いんだ…。
・怒鳴り叫ぶときの荒々しい発露が大好きだった…
・シャドーしながらの「ポップコーンだって食うぜ!お面だってかぶるぜ!」が超かわいすぎた。いや、あの芳子とのシーンがいちばん新次が分からないところだったんですけど…
・あと上記の「生きる準備を〜」は周りに合わせてひそひそ声でしかも新聞越しで超かわいかった。
・やっぱ前髪は下りてる方がかわいいです新次さん。゚・(´∀`。)・゚・
・後楽園第4ラウンドはスローモーション演出で。映像でなく生で見るのは冗長なのかなとちょっと思ってはしまったのだけど、もう一度バリカンの台詞と新次の動きとを噛み砕きながら見たい。戯曲版と舞台だと台詞の長さが全然違ったんだ…(;ω;)
・その試合のシーンはほんとに汗がすごかったし、途中からバリカンの体には血がついていてびくっとした。
・のがカーテンコールで出てきたときにはまっさらになっていて、(=∀=*)あぁ…拭いてもらったのね…ってなぜかほわほわした。
・そうですよその試合に入る前のフード付きの上着姿がまるで雪ん子のようでかわいかったって思っちゃってごめんなさいねぇ!でもあれ雪ん子だよ新次ちゃん!
・死亡診断書の日付が観劇リアルタイムだったんですが、あれ、劇中はちゃんと昭和の解釈でいいですか…さすがに…

書きたいキーワード、母親、法と倫理、血と汗、火事みたいな東京。
犬みたいにじゃれるバリ新、一緒の部屋に住んでるバリ新は見せろ。


またもっときちんと解釈ができるようになったら形にしたいです。