【嵐】大奥で見聞きしたること

全編通して思ったのは、映画版では水野をはっきりと主役にしてつくったんだなぁーということです。
元々原作は読んだことがあるけども、こうして対比してみるとなんというか、漫画は『大奥』という歴史、「大奥を」描きたいんだなぁーという印象で、対して映画は、水野という江戸時代に生きた男が、大奥という場所に放り込まれてどのように生きていったか、が話題で。

その違いをより強く見せたのが、水野の性質なんだと思うんです。漫画版の水野は、まぁ漫画ということもあってデフォルメ表現もありますし、なんといってもカラッとした気質の人物だったと思うんですが、それがまずニノが水野としてキャスティングされたときの疑問点だったんです。そのイメージが抜けなかったから、「ニノが水野…?」って。けれど、映画版は水野という男を描く主軸がずらされていた。漫画版と比べるとずっと、情念があるというか、人間の情の湿度があった。お信を抱きたいと思っている、男の情。
漫画と違って、大奥に上がるという切り出しが、縁談話からそのままではなくて、お信との
「このご時世にただで抱かれてやってるっていうじゃありませんか」
「女たちは子どもが、生きがいが欲しいって、俺に頼みをかけてるんだよ。力になってやりてぇじゃねぇか」
という話の流れからの、それなら、私も、…とその先を言い出せないお信に対して
「…御望みとあらば、抱いてやってもいいんだぜ。…幼馴染み殿」
というやりとりの後別れる会話の場面が設置されて、その直後に設定されていて。お信と夫婦になれない現実への未練を断ち切るために堪えて大奥へ行くのだ、という感情の流れが根強く見せられていたように感じました。
男は女に抱かれる、というこの時代での意識にも上らない言葉に対しての、「抱く」という能動の言葉。これが、男、という性が現れていてすごく良かった。


それから、「お信。ここは暗い。」までの流れ。
御三之間での夜襲や金魚様に関してはカルチャーショックであったり、城外とこの大奥との落差を薄らと感じていく導入のような部分だったと思うんですが、
鶴岡との対峙が、剣客の水野にとっては僥倖とも言える本気の喜びであった。その鶴岡からの敵意と情念。そして閉じられた大奥でついえていけることをまるで疲れ果てた末に達観したように幸せに思う杉下の言葉、その連続だからこそ、「暗い。」が際立って分かったような気がします。
そしてまたオリジナルの鶴岡との対峙ね…!剣の業で負けたこと、松島から離されたことそのどちらもが、鶴岡の居場所を奪う。
その間に垣添たちの水野様きゃあきゃあ!が入っていたせいもあったし、いったん水野の気持ちは健全な方向を見られていたと思うんです。そうしておそらく木刀の感触を懐かしんで夜の道場へ入る水野。
そうしてその場所に亡霊のように座る、鶴岡。
「拙者が、どんな思いで這い上がってきたと…!」
泣き叫ぶように真剣を抜く鶴岡に対して抜けぬと、頬を切られても鞘を抜かない水野。
更に左腕を切られて尚の激しい攻防の最後、引き倒した水野を斬ろうと被さり伏せ接近した鶴岡の首元に僅かに抜いた刃が当てられる静寂が、すごく良かった。ここまで全く抜かなかったが故にその僅か何寸かの刃の緊迫感が喉を突いて。
その後の鶴岡の切腹。見かねた水野の介錯
こうして鶴岡を実写で見て今更なんですが、誰か鶴岡サイドストーリーつくってみませんか…すっげぇ読みたいです…杉下という男一人であれ、あの過去がある。鶴岡という男にも、大奥でなければ生きていけない過去があったのだと。


介錯、そして暗転。そこから吉宗が登場する流れになるというのが、話を一度落とし新たな幕が上がるのだとはっきり示すピリオドになっていて良かったです。
で、少し飛ばして総触れまで。着飾った大奥衆の中に黒の流水紋の裃で現れた水野に対して反応が静まり返る、というところ。漫画だとこそこそ話を示す吹き出しでも場所をとって正直静かな、というのが実感として沸かなかったんですが、実際に喋る音があると(しかもしゃべくってる大奥衆がほんと、お互いの服を褒めあう女子の会話みたいだったんで…)、静まる、っていうのがすごく分かった。
で、藤波が水野を御中臈へ昇格させる心づもりを最初に示すところはともかく、その後組香を経て水野を褒めるところ、総触れで水野が選ばれたところの松島の笑み、水野を御内証の方に仕立て上げてこれで次期将軍の父は、というところで松島が「これでやっと、藤波様にご恩返しができます」と言う場面、…と見ていくと、
松島も水野を御内証の方へ仕立てる算段は知っていたんだろうと思うんですが、わりと、自分の出世欲に藤波を利用しているというよりは、松島は藤波を慕っていて、見離されていくことはできなくて、そしてそれは恋情に限りなく近い恩義の情からきているものだったのではないか…と考えてしまいました。だって、ご恩返し…のとき松島目が潤んでたもの…


心が曇る。の台詞は杉下が激昂しているのに対して随分静かでしたね。これも映画版水野に関しての、情の湿度が表れた場面だと思っています。水面を見ながら、「こんなことなら、お信を抱いちまえば良かった。好きだ惚れてると言やあ良かった…」と言うのもただ、情を抱えた男という感じで。
そんでもう、眦の差した紅が良かった…!まなじりの赤。あれはけして色気の表現ではない。まるで、流していない涙を暗示するような。
祐之進、という名。大奥に来て捨てられた、俗世の自分。俗世の、お信をいとおしむ自分を、『信』という名の女が呼んでいる。たまらない。たまらない…!本当に思うお信をもう二度と抱くことのできない自分と、信という女の肌に触れ、触れられることのできる悦びとが綯い交ぜになって、そのどちらもが目の前に向かう。その衝動が良かった。
朝、水野はひとりで目を覚まして、それは吉宗の快活ぶりというか水野に対しての身辺調査への繋ぎだと思っていたんですが、夜を過ごした女と共に目を覚ますことは俺はもうできなかったのだという、そういうやるせなさの感情が映画版だと見えてくる。
打ち首前、面紙の下で伏せた睫毛が美しかった。


その後の水野を生かす流れ、大奥改革の流れの快濶さは来るべき帰結だなって感じだったけど、お供えのにぎりめしを取るときの水野が、台詞は無いけど足を晒していたのが良かったです。足見せ!足見せ!幽霊じゃねぇぜ。
そうして最後の吉宗が大奥を一人で歩き、「…この国を、どう動かすか」と前を睨み呟いた後に残る徳川紋、っていう絵がものすごい印象的でした。締まりが良かった。やろうと思えば、続編にも繋げられるし(笑)。


総じて。
最初に大奥に来て松島の案内で見て回る場面、呉服之間はわりと存在を予め知っていたというのもあるけれど、御膳所なんかに少年とでも言っていいような年齢の男たちがひしめいている図、というのは大きな違和感があった。それが、炊事は女の仕事であるという枠組み意識の現われなのか、大奥という、ひとつところに一人のために同性の人間が集められるというシステムの異常さなのか分からない。
ただ、そういうことなのだと思う。男女の別があり、その枠組みが決まっているからこそ、この『男女逆転大奥』というものは成り立っている。男女は結局違う。体が弱いと言われようが数が少なくなり珍重されていようが、男の持つ性は変わるはずがないと思っている。ただこの環境設定は、それを色濃く映し出して見せる装置なのだと思う。水野という男の、信という女への情を見せるための。


…というわけで。ごちゃごちゃ長い上に地の文なんだか台詞なんだか分からない文章ですが、っていうか、もうあんまり頭働いていないので書き直すかもしれないですけど…。ひとまずこれで真面目な方の感想は終わり!あとは箇条書きでいろいろ!

・まだ前髪を下ろしてるときの水野がかわいい
・全編通して二宮様が年齢不詳
・一緒に見に行った友人に「二宮と堀北真希だと犯罪くさい…」と言われる
・「大丈夫!その前に櫻井が真希ちゃんとキスシーン済ませてるから!」と笑顔で返しておきました
・はだかの水野様はやっぱりむにっとしていらっしゃる…
・鼻緒を直してもらってるときのお信ちゃんの向かって左の後れ髪がものすごいかわいい
・松島の大奥案内のときと、あと吉宗が間部を下がらせるところ、久通が藤波に「この国の、行く末を」っていうところの3箇所だったと思うんですが、…どうにもBGMが…おかしくね…?ってなった…
案内のときはなんか、甘酸っぱい☆青春生活☆、みたいな感じで、あとの2つは、やってやったぜ☆みたいなのが露骨すぎた気がする。(どんな印象だ)
・巻き舌のためにあと2、3回くらい見たい超。超。超…!巻き舌最高…悶える…
阿部サダヲって本来はこんなに声が細いんだなって思った…
・鶴岡が美しすぎる
・漫画の藤波がわりとふくっとしたおいさんだったので、佐々木蔵之介だとスマートだなぁと思っていたんですが、思った以上におっさんくさくて良かった
垣添がとにかくかわいい。が、しかし、二宮様が小さいのか中村くんが大きいのか、裃の意匠について話しているときの身長差が面白すぎる
・鶴岡が美しすぎる(二回目)
菊川怜間部詮房が超かわいい…活躍が見たいのだけど、家宣編は遠すぎる…
・組香のシーン、御中臈の中で水野だけがあんまりにもちんまりしていた。かわいい。



もうなんか予想以上に私の中では良くて、とりあえず目標はあと2回です。話の流れを整理しつつ、もっと深く見たい。見たい…!おやすみなさい…